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2008年12月

【10周年を振り返るテリー植田とryusuke対談】(byテリー植田)

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岡村ナイト10周年イヤー突入記念!「テリーとryusukeの岡村靖幸ナイト回顧録」

2000年問題に揺れたのか揺れなかったのか結局よくわからず、「地球征服を完了した」聖飢魔Ⅱが本当の世紀末よりも一年早く解散してしまった方がなんとなく印象深い、1999年。この年、六本木クラブで、日本が誇る“シンガーソングライターダンサー”、岡村靖幸の楽曲で盛り上がろう! というDJイベント「岡村ナイト」が産声を上げました。それから雨にもマケズ風にもマケズ不定期ながら開催を続けて、2009年でなんと10年目を迎えます!パチパチ?(←岡村ちゃんも登場していたソニー系音楽雑誌を思い浮かべながら拍手をしています)。このアニバーサリーイヤーを記念してあんなことやこんなことを企んでいる岡村ナイトDJ&スタッフ陣なのですが、第一弾として、主催者テリー植田と、メインスタッフのryusukeによるスペシャル対談をお届けします。岡村ナイトはどうやって始まったのか、そして何故ここまで続いているのか、んでもってこれからどうなっていくのか……。岡村ナイトの屋台骨二人によるヒストリー&エピソード集です。(構成・こーもり)

岡村ナイト
1999年12月30日から開催されている、岡村靖幸のファンイベント。東京・六本木からスタートしたイベントは、徐々にその規模を拡大し、大阪、名古屋、札幌、福岡などでも開催。一時期「PEACH TIME」とイベントタイトルを変更するが、再び現名称に戻す。1人のアーティストに特化したファンイベントとしては異例の長寿イベントとして、業界関係者からも高い認知度を持つ。

(プロフィール)

テリー植田……岡村ナイトの主催者。雑誌編集・ライター/DJ/イベントプロデューサー/司会をこなす。現在は、お台場のニフティ株式会社が運営するイベントハウス「東京カルチャーカルチャー」のプロデューサー。いつ眠っているのかよくわからない多忙な男性。メガネの度は相当きついが、その奥に潜む瞳は新たな刺激をどん欲に探すエンターテインメント・サーチアイ。

ryusuke……岡村ナイトのメインスタッフ。DJ陣が次々と酔いつぶれて行く中、受付係と二次会の仕切り役を淀みなく担当する、岡村ナイトのスーパーな裏方。その長身と顔立ちから「岡村ちゃんのコスプレですか?」「役所広司さんの弟さんですか」と、お客さんに心の中で突っ込まれたりしていると推定される。音楽イベント「BOBOS」のオーガナイザーとしても活躍中。

岡村ナイトの誕生。

テリー: 僕は23歳からDJを始めてね。最初にやったDJ参加したクラブイベントが「プリンスナイト」で。大阪でやっていた。そこで、ある特定のアーティストのファンイベントというものの面白さに気づいて、邦楽アーティストでも機会があればやりたいなという思いがあったのね。それで東京に移住してから、六本木のパラノイアカフェというラウンジでDJをやっていた時に、下の階に「パラノーマル」というクラブが出来たんだ。六本木というロケーションもあったし、「ここで岡村ちゃんのイベントをやらなければいかんだろう!」って思ったわけです。それが確か1999年の11月かな。準備期間は1ヶ月くらいあるかないかくらいかの中だったんだけど、フライヤーを作って急遽開催したんだよね。その時のDJは、DJ仲間で岡村ちゃんファンだったコバちゃんと僕しかいなくてね。
ryusuke: 当時、僕はお客として一回目に参加したんだけど、VJもいなかったし、ずっとテリーとコバちゃんがふたりで回してたよね。真っ暗な中で(笑)。今考えてみると、はじめてから何回かは、DJやスタッフだけじゃなくて、お客さんも手探りな感じがあったと思う。最後は今と同じように大合唱になるんだけど、踊り出すまでにすごく時間がかかっていた記憶がある(笑)。
テリー:岡村ちゃん本人が活動ない時期だったからファンがほんとうに集まるかめっちゃ不安でさ。それは深夜から朝までの時間帯で開催したんだけど、それでも60人くらいファンが集まってくれて嬉しかったなぁ。パラノーマルは、小さいクラブだからいっぱいになったね。
ryusuke: その頃ネットは、リアルロックス(99年当時、岡村ちゃんが所属していた事務所)が運営しているオフィシャルの掲示板にファンが集っている感じで。そこに掲示板とチャットがあって。
テリー:僕が告知をしたんだよね。キャラが動くチャットのやつね。懐かしいなぁ。
ryusuke:その時は、Quick Japan(以下、QJ)の北尾編集長(現在は、hon-nin編集長)が絡んでいたのかな。フライヤーにQJが名前が協力で入っていた。
テリー:うん。北尾編集長に岡村ナイトのフライヤーに遊びに来て下さいってメッセージ書いて太田出版に送ったんだよ。そしたら、取材に来てもらって岡村ナイト潜入レポートを掲載してもらったの。。当時QJには岡村ちゃんの記事も出始めていたのかな? ルポライト記事というか、本人の自宅を訪ねるようなストーカー記事(笑)。でも、あの時は、リリースもなくて、消息を知れるのはQJだけだったからね。

岡村ナイトの試行錯誤と、「真夜中のサイクリング」PVウラ話

テリー:1回目がうまくいったので、2000年に入っても何度か開催して。
ryusuke:僕もちょっとスタッフみたいな形でかかわることになっていたんだけど、2000年に入ってからも何回目かまではたくさんのファンが集まったよね。
テリー:当時、岡村ちゃんの活動としては1999年に「SEX」をリリースしたぐらいかな?最初の頃はアリtoキリギリスの石井さんが普通に客として遊びにきてて、バンバン盛り上げてくれてたんだよね。DJには僕とコバちゃん以外に、二回目からnoboruさん、その後に魅惑のクニオくんがメンバーに参加して。2001年くらいからはそんなラインナップが固まったね。
ryusuke:終わった後の打ち上げに、noboruさんが参加しなかったことが多かった時代(笑)。
テリー:カモクだったよね。(笑)当時noboruさんは、カオスパニックというバーを高円寺で経営していて、そこで知り合って声をかけたんだよね。プリンスも岡村ちゃんも好きでDJもVJも出来た。思えばカオスパニックには、のちにDJ参加するようになるオッチーも遊びにきてたりした。魅惑のクニオくんは別のイベントでたまたま知り合って、当時から彼は面白かった。実は、岡村ナイトにはかなり興味があったらしく、実際に会場にも遊びに来ようとしたらしいけど場所がわからなくて、うろうろしてるうちに終わってしまってたらしい(笑)。
ryusuke:最初はクニオもお客として来ていて、真ん中でメチャメチャ踊りまくってた(笑)。あのダンスやパフォーマンスをはじめて見た時は衝撃だったなぁ。お客さんもそれにつられてみんな踊るというか。イベントに一体感が出たんだよね。
テリー:僕だけでやっている時って地味だったからさ。パフォーマンスが面白かったクニオくんを引き入れたことで、それを打開できたところはあるかもしれない。そういえば、弾き語りとかもやっていたね。必要ないというか求められてないと思ってやめたけど。(笑)
ryusuke:映像をみんなで鑑賞するコーナーがあったりとか、試行錯誤が続いたよね。
テリー:それと大きなトピックとしては、エピックで岡村ちゃんのプロデューサーをしていた阿久津さんが来てくれたりしたんだよね。はじめて来てくれたのは2回目かな?なんでも岡村ちゃんからイベントの偵察指令が出てらしく、数人のスタッフと普通にお金払って見にきてくれた(笑)。「テリー、これあげる。ヤフオクに出すなよ。」って開口一番言われたの覚えてるな。
「なに勝手にやってんだ」って、怒られると思ったよ。でも「SEX」の販促用特製ブリーフやアナログ盤、昔の頃のレアなポスターとかピンバッチも「配ってください」って持ってきてくれて。そういう気遣いは本当に嬉しかったし、イベントやっていて良かったと思ったなぁ。ファンが勝手にやっているイベントなのにね。その後、「真夜中のサイクリング」をリリースした時に、一度PVで岡村ナイトを撮影するという話があったんだよね。でも運が悪いことに、その2日前くらいにイベントが終わっちゃってたんだよね。その後、1週間以内でやってくれって言われたんだけど、ハコがやっぱり見つからなくて。それで立ち消えになっちゃった。あれは残念だった……。
ryusuke:結局、「真夜中のサイクリング」では、阿久津さんエピックのスタッフたちが自転車で撮った映像を使ったらしいんだけど。「サイクリング」だから、自転車でキャンペーン回っていた時の(笑)。自転車に宣伝用の旗立ててCDを宣伝してて。代々木公園あたりで本当にサイクリングをしてたんだよ(笑)。
テリー:(笑)。しかしまぁ当初の岡村ナイトを振り返ってみると、独特の閉鎖感というか、交流の仕方がわからないというか……。みんなちょっとイベントに距離感はあったよね。当時はミクシィなんてないし、現場来てからの交流だったから、コミュニケーションを取るのが難しい部分はあったかもね。パラノーマル暗かったしなぁ。場所ってすごく大事なんだよね。
ryusuke:だから盛り上げるまでにすごく時間はかかった状態は、ずっと続いていたね。そんなこんなで続けてたけど、2001年くらいに夏から秋にかけて三ヶ月連続でやった時があったじゃない?あの時が一番の危機だったよね。本人の活動ないし、ファンのみんなも来なくなって。。。
テリー:いや~、すごい出費だったよ。(笑)。まぁ、お金の話をするのは生々しいけど今ならiphoneが5台は買えるな。(笑)。本当はそこで辞めようかと悩んでいたんだけど。。。
ryusuke:まだスタッフというより客として楽しんでいた僕は辞めてほしくなったから。イベントを続けるために本格的にスタッフ入りして。周りに岡村ちゃんのファンもいっぱいいたし、この場を失うのは惜しかったから。

「この時の岡村ちゃんの活動」
sexが1999年11月→岡村ナイト初開催
真夜中のサイクリングが2000年4月
マシュマロハネムーンが2001年3月発売されています。→岡村ナイト低迷期
トリビュート・アルバムのリリースが2002年。「岡村と卓球」もこの前後。
逮捕・求刑されたのが2003年3月
2008年8月、ROCKINJAPANに出演
2003年12月に「岡村と卓球」アルバム・リリース。
その後、また逮捕

岡村ナイト初開催までから、岡村ナイト終了の危機を迎えた2001年までを振り返った前回に引き続き、今回は2002年~現在までの「岡村ナイト」エピソードをテリー植田とryusukeがトーク、DJの増加、全国開催、岡村ちゃん自身の不祥事……など、イベントとしては成熟期を迎えた現在の「岡村ナイト」を熱く語っております。09年2月14日から開催される「10周年記念」イベント情報もあるので、要チェック!

岡村ちゃんトリビュート~岡村ちゃんライブ復活~不祥事の前後で

テリー:2002年に入ったあたりから、大阪のB-TRIPや福岡、札幌なんかでも岡村ナイトを始めたんだよね。JIROはロストでトリビュートライブやった時にコバちゃんと遊びに来てて紹介されたんだよ。自分で作った岡村ちゃんリミックスをくれて、そのクオリティに驚いてすぐにDJに誘った。その頃はイベント以外の場所にも、「岡村ナイト主催者」として呼ばれることも多くなったんだよね。朝日美穂さんが主催した「どんなものでも君にかないやしない~岡村靖幸トリビュート~」がリリースされた時(2002年)も、タワレコでのインストアイベントで、江口寿史さんとトークショーに出演したり。トリビュート発売記念でライブをやったのが、のちに岡村ナイトにも出演してくれたニーネとか(他にもクラムボンのミト、朝日美穂、イルリメ、ブラウンノーズ&直枝政広などが出演)。それとは別に、朝日さんがCAYでイベントやった時に僕がDJをやったりと、交流もできた。そうそう、本人にお会いすることもできて、「家庭教師」のツアーで使った大きなライトを阿久津さんからプレゼントしていただいたり、ファンクラブの会報でライブレポを書いたりすることになったのが2003~2004年頃。
ryusuke:やっぱりその頃は、2001年末の不振が嘘のようにすごく盛り上がりがあって、若い子のファンも急激に増えたよね。岡村ナイトも若返って盛り返したよね。(笑)
テリー:DJも、コバちゃんが事情でいなくなったけど、JIROやSHIMIZ、オッチー、AFTER FIVEやこーもりなんかが2005年くらいまでに新しく入ってきて。DJにも幅が出たから、かける曲の幅が凄く広がった。2002~2003年あたりに築かれたラインナップが現在まで続いていて。ROCK IN JAPAN(2003年8月)の後に岡村ナイトとかやった時は、すごいたくさんのファンが集まった。この頃には場所がロストプラスワンに移っていたけど、オールスタンディングで200人くらい。フレッシュボーイツアーのZEPP TOKYOの後とかもすごかったよなぁ。
ryusuke:うん。あの時はすごい人で、ロフトプラスワンの楽屋を急遽荷物置き場にしたりとか。
テリー:ロフトのトリビュートライブの時に、のちに岡村ちゃんのマネージャーとなる吉本興業のプロデューサーさんが来て、初めて話しをしたんだよね。その頃、岡村ちゃんはソフィアのプロデューサー(『HARD WORKER』リリース時)をしていて。音源が出来た頃かな? それがきっかけとなってマネージメントを吉本がやるかも、という話しがあったんだよね。ロフトにはレコード会社とかマネージメントをやりたいという業界関係者がたくさんいたなぁ。
ryusuke:西新宿カレントでやった時はパンパンに人が入った上に、冷房が壊れて、酸欠状態だった(笑)。
テリー:今までで開催したのが一番多い場所は、プラスワンになるかな。その合間には、岡村ちゃんの映像を見ながら語るトークイベントをやったり。
ryusuke:ステージとフロアと楽屋の場所のバランスが良かったし、居心地は良かったと思うなぁ。それで、2004年に、「Me-imi」がリリースされて、その前後に「岡村ナイト」から「PEACH TIME」に名前を一度変更したよね。
テリー:本人が復活したんだから、僕たちはそれをサポートする感じにしたくて名前を変えたんだよね。でも、その後に例の不祥事が起きて。
ryusuke:2005年にね。確か、大阪での岡村ナイトの前日で。東京スポーツに掲載されたんだよなぁ。次の日、何か気まずい雰囲気でナイトを開催したのは覚えてる。
テリー:不祥事の後、イベント名を再び「岡村ナイト」に戻して応援しようと思った。この頃は、開催場所はほとんどカレントかロフトプラスワンに固定していた。まあ、ある種イベントとしては成熟期というか、過渡期というか。
ryusuke:この頃って、岡村ちゃんじゃない曲もかなりかかるようになったらから、賛否両論は出たよね。そのあたりも含め、どうすればマンネリに陥らずにイベントを開催するかってことをDJやスタッフでよく話し合っていた気がするな。

岡村ナイトの10周年。?これから?

テリー:10年やってきて改めて思うのは、毎回、岡村ナイトに来るファン層が変わってきていることかな。昔、六本木に来ていた人って、今は不思議と誰もいないんだよね。
ryusuke:今でも付き合いがある人もいるんだけど、結婚したり、子供できたりして来れない人もたくさんいるからね。10年という歳月を感じるよね(笑)。
テリー:家庭ができると、夜中は遊びにくいからねー。
ryusuke:岡村ナイト始めた当初は、ファンも20代後半くらいだったんだけど、そういう人たちがだんだんと30代になって家庭を持つようになってきたから。
テリー:僕も含めておじさん、おばさんは、オールナイトつらいよ。そうやって考えると、10年よくやり続けてこられたなと。岡村ちゃんのアーティストとしての偉大さというか、パワーが衰えていない証拠であるよね。んで、2009年は10周年ということで、夕方から終電の時間くらいまでの早い時間の開催にしようかと。主婦の人や未成年の人も来れる時間帯にして、昔来てもらった人も初めて来た人も来やすいイベントに遊びしたいというのもある。10年後の同窓会みたいな。
ryusuke:今までの深夜帯だと、明け方の打ち上げになるとテリーが絶対に養老乃瀧で寝てるからね(笑)。
テリー:打ち上げを楽しみに来てくれているファンも多いから、そういう人たちも楽になるかなと。昼まで飲むことないよ。
ryusuke:やっぱり、これまで岡村ちゃんについて熱く語れる場ってなかったから、その場所は引き続き提供できればと思います。
テリー:意外とDJって声かけてもらえないんだよなぁ。いくらミクシィ見ていても顔と名前は一致しないから。声かけてもらわないと分からないんだよね。僕は、声かけてほしいんだけど、たぶん風貌が怖いんだよな、僕は。
ryusuke:僕も受付には大体いるので、声をかけてもらえれば。
テリー:そうそう、今回は開催場所も久しぶりに変えようと思っていて。ロフトプラスワンも思い入れある場所ではあるんだけど、なにせアンダーグラウンドすぎるのと、もっと明るくてオープンな雰囲気にしたいと思った。新宿歌舞伎町の「BーWAVE」というところでやります。ここの魅力は、地下のダンスフロアと1Fのバーカウンターと別れていて、休憩できるんだ。そして、とにかく音がいい。ダンスフロアのスピーカーが四隅に設置されていて、音はでかいのに、その重低音が心地良く感じる。でも、場所の真ん中くらいでも、会話が聞こえるような空間づくりになっている。今回の岡村ナイトではその部分も楽しみにしてほしい。80人くらいは入ると思う。バーでは岡村ちゃんの秘蔵映像を流しつつ、ファン同士の会話も楽しんでほしい。1Fからでもダンスフロアの音が聞こえるので、1Fで飲みながらも、好きな曲がかかったら地下に踊りに行ける。
ryusuke:バーでは喋ることもできるしね。そういう意味では、08年9月に開催した高円寺のオレンジ/コネクシオンのバー2店開催もまたやりたいですね。バラードサイドでは、お客さんが気軽にDJにリクエストしたり話したりできるのが、屋台のようでよかったね(笑)。
テリー:今回は場所を変えるだけじゃなくて、新たなやり方をしようかと思っています。DJのラインナップも少しリニューアルするし。
ryusuke:場所が適度な大きさだから、みんなで踊ると温度がすごく高くなりそうだね!
テリー:それに来てくれた人にはプレゼントも今回は用意するよ。そうだ、「BーWAVE」は店長が岡村ちゃん好きで、非常に理解のある人です(笑)。とりあえず、今年はフルスロットルで色々やりたいと思っているので、頑張ります。
ryusuke:そうなんだ(笑)! でも10年いろいろありましたが、岡村ナイトのファンのみんなに支えられてここまで来たので、今年は特別な年になるようにしたいです。
テリー:というか、僕らだけじゃなく、いろんな人が岡村ちゃんの曲で盛り上がれる岡村ナイトをやってほしいね。全国で同時多発的に。そうなれば、なお良いと思っています。最後にみなさん、お知らせです。2月14日バレンタインに岡村ナイトやります!

(補足)
RealRox……「SEX」で一応の復活を見せた当時の岡村ちゃんの事務所。ほかに高野寛なんかが在籍していた記憶アリ。
QuickJapan……現在も太田出版から敢行されているサブカル雑誌。北尾編集長時代は、編集長自ら電話番号を明かして「椎名林檎さん、連絡お願いします!」と呼びかけたり、上記のような岡村ちゃんストーカー記事を執筆。当時テリーはTHA BLUE HARBの記事などを書いていた。ちなみこーもりは現在もライターとして時折参加。
ニーネ……3ピースロックバンド。「どんなものでも君にかないやしない~岡村靖幸トリビュート」では「ラブタンバリン」を“青春”感溢れるカバーを披露。2度にわたり岡村ナイトに参加。
朝日美穂……ジム・オルークも認めるシンガーソングライターで、「岡村靖幸トリビュート」の主催者。トリビュート盤では「だいすき」をクラブアレンジでカバー。岡村ちゃんとは「秘密のフランボワーズ」(岡村靖幸作曲/朝日美穂作詞)でコラボレート。
江口寿史……「ストップ! ひばり君」ほか、数々の名作を残すマンガ家。「岡村トリビュート」ではジャケットや歌詞カード内のイラストを数点執筆。岡村ちゃん好きで、自身のエッセイ的マンガの中でも何度か岡村ちゃんが登場している。

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岡村靖幸ナイト 10周年へ向けて!(byテリー植田)

Okamuralogo

岡村靖幸ナイトは、19991230日の六本木で開催した第1回から数えて、2009年は、なんと10周年目に突入します。第1回の今はなき六本木パラノーマルに始まり、朝日美穂さん主催のトリビュートイベントが行われた新宿ロフト、新宿ロフトプラスワン、西新宿カレントなど東京だけでも多くの会場で開催され、仙台、北海道、大阪、名古屋、福岡とその岡村ナイト熱は、地方にまで広がって行きました。本人の復活と同時に岡村ナイトの盛り上がりもピークを迎え、ほんといろんなことがありましたが、10周年イヤーを迎えることになりました。10周年を目指してきた訳ではなく、きっと通過点の10年だと思います。20代だった人は、30代へ。みんな岡村ナイトといっしょに年を重ねて来たと思うとなかなか感慨深いものがあります。

ワンアーティストのイベントでここまで長く続くとはまったく思っていませんでした。会場もDJ10年でいろいろ変わってきましたが、10周年を迎えるにあたって、もう一度、僕自身で岡村ナイトを見つめなおして、岡村ナイトに通って来てくれているみんなと未来の岡村ナイトに来てくれるファンのみんながもっと楽しく、交流できる岡村ナイトにしていこうと強く思っています。

具体的には、早い時間帯への変更やBARスタイルの会場での開催を考えています。より多くのファンが集まれることを考えると、今までの深夜の時間帯よりも、電車で帰れる時間帯にしようと考えています。それと、ライブハウスで踊るスタイルからラウンジ、BARカウンターで会話ができるスタイルにしようとも思っています。もちろん、踊ることができるダンスフロアがある会場で。ただし、ステージのないフロアで、DJとファンのみんなが同じフロアで一体感を出せるような環境の会場にします。来年2月に予定している会場は、ダンスフロアとチルアウトができるBARカウンター、ソファーもあるフロアがあって理想的な環境です。とてもオープンな雰囲気で、ひとりでも気楽に来れるアクセスと居心地の良さなので、安心して初めての方もぜひ、いらしてください。新しく参加するDJにも声をかけています。そして、ちょっとした来場者へのプレゼントも考えています。

この先の10年を見つめた時に、もっと岡村ナイトがオープンで誰もが楽しめる状況を作りたいなと。もし18時スタートにしたら、主婦の方や未成年の方も参加できるかもしれないし、久しぶりに岡村ナイトに行こうかと思ってくれる方もいるかもしれないなと。初めてのファン同士が、BARカウンターで会話ができるような雰囲気にしたいなと。ファン同士が岡村ナイトで久しぶりの再会なんていう場所になるとしたら、とても嬉しいです。

2009年は、年間数回の開催と、この10周年ブログでは、岡村ナイトレポート、DJのコメントなどを掲載していきますので、10周年イヤーを岡村ナイトでいっしょに楽しんでもらえればと思います。2月の岡村ナイトの詳細が決定したらお知らせします!(テリー植田)

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